大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)5774号 判決 1980年7月14日

原告

津田産業株式会社

被告

センコー株式会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一三六七万九九九九円およびこれに対する昭和五一年一一月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

別紙一記載のとおり。

二  被害者(訴外李および訴外佐々木)の損害

別紙二記載のとおり。

三  原告の求償権の発生原因

A  被告は、本件事故当時、加害車に対して、運行支配、運行利益を各有していた。そのことは、次の諸点より、明らかである。

(一)1 原告は、住宅資材の総合卸販売等を目的とする、被告は、陸上物品運送等を目的とする、各株式会社であつた。

2 原、被告は、昭和四三年五月、原告の九州支店熊本営業所(以下、単に原告営業所という。)と被告の水俣支店熊本営業所(以下、単に被告営業所という。)との間において、原告営業所の取扱商品を被告営業所の倉庫に保管することを目的とする、倉庫賃貸借契約を、しかして、同年一〇月二八日には、改めて、同一のことを目的とする、寄託契約を、さらに、同年一〇月下旬ないし一一月上旬頃には、右商品を原告の得意先に配達することを目的とする、運送契約を各締結した。

3 ところで、原告営業所は、右運送契約を締結するまでの間は、必要な都度、被告営業所に運送を依頼し、その都度配送してもらつていたにすぎなかつたが、その頃から、原告は、被告が倉庫(寄託)と配送(運送)関係を有機的に直結するシステムを採用し、倉庫と配送を一貫させていることをセールスポイントとして宣伝していた大手業者であつたことに信頼感を抱いていたため、ついに、前記のとおり、被告との間に、寄託契約のみならず、進んで右運送契約までも締結するに至つたものである。

4 右の直結システム下における具体的な入出庫手続は、次のとおりであつた。

(イ) 入庫手続 原告営業所か、または原告営業所に商品を配送して来る荷主が直接、被告営業所に対し、寄託商品を届け、被告営業所倉庫係(女事務員)が、倉庫保管台帳に受入記帳をして、倉庫管理を開始する。

(ロ) 出庫手続 <1>原告営業所が、電話または出荷指図書により、被告営業所に対し、出荷依頼をする。<2>倉庫係が、右依頼に基き、被告営業所備付の四枚複写の出庫指図書(原告営業所の前記出荷指図書とは別の物)に、必要事項を、記入または記入替えする。<3>右四枚中、一番上が「控」、二枚目が「出庫指図書A」、三枚目が「送り状B」、四枚目が「受取書C」となつているところ、倉庫係は、「控」を取つて、残り三枚を、被告営業所の運送担当者(運転手、助手等)に交付する。<4>右運送担当者は、倉庫に赴き、被告営業所出庫係に対し、「出庫指図書A」を、その「受領印」欄に運送担当者の署名をした上で、交付し、荷を出してもらい、被告営業所の従業員と共に、車両に荷積みをする。<5>それから、右運送担当者は、受荷主のところまで商品を配送し、商品と共に「送り状B」を交付した上、「受取書C」に受荷主の受領印をもらつて、これを、被告営業所まで持ち帰り、倉庫係に交付する。<6>なお、出庫係は、毎日、その日に受取つた「出庫指図書A」を、日報と共に、倉庫係に提出する。<7>倉庫係は、同係に集まつた、「控」、「出庫指図書A」、「受取書C」を各照合し、最終的確認をした上、倉庫保管台帳から原告営業所の寄託商品を落す。<8>倉庫係は、「受取書C」を、郵送等の方法により、原告営業所まで届け、原告営業所は、「受取書C」の入手により配送の確認をした上で、受荷主に対して請求書を出す。<9>なお、運転手は、前記配送のため待機中、被告営業所の倉庫の敷地内に駐車する。

(二)1 さて、前記の昭和四三年五月から、同年一二月頃までの間は、被告営業所のトラツクが直接、原告営業所の商品を運送していたのであるが、右一二月頃に、原、被告間に、被告営業所において原告営業所の商品の運送につき下請業者を用いる旨およびその運賃を原告営業所から直接右下請業者に支払う旨の合意が成立するに至つた。しかして、右下請業者となつたのが、訴外関谷英二であり、その担当運転手(孫請人)となつたのが、訴外森下昭であつた。

2 ところで、原告が右下請を了承したのは、被告が元請人である以上、寄託と配送とが直結した前記システムになんらの変化はなく、また、下請と孫請、訴外関谷と訴外森下の関係等は、被告側の内部関係にすぎず、さらに、原、被告間の前記、寄託および運送各契約の枠内における取扱の変更にすぎない、と考えていたからに外ならない。

3 ところが、昭和四四年三、四月頃、訴外関谷と訴外森下間に金銭上のトラブルが生じ、訴外関谷が訴外森下にガソリン代も交付しなかつたことから、原告営業所の商品の配送が困難となる事態が発生し、その際、原告営業所々長の訴外斎藤輝二が、訴外森下に、ガソリン代を貸与したことから、その翌日、訴外関谷が、被告営業所従業員の訴外梅川正次と共に、原告営業所を訪問し、右ガソリン代の貸与に対し苦情を述べ、運送に関する金員を、従来通り直接、訴外関谷に対し交付して欲しい旨要望したことがあつた。そこで、その時、原告営業所側としては、訴外関谷が直接運送業務に従事せず、いわゆるピンハネ的存在であつたことから、訴外関谷に対する運送賃の交付はこれを取り止め、同じ被告の系列内にあつた訴外森下に直接支払う旨回答すると共に、右運送賃に関する問題は、被告と訴外関谷、訴外森下の間の内部関係で話し合つて処理するよう指示したことがある。しかしながら、その際、被告が、原告営業所の取扱商品に対する前記システムから、離脱したようなことはなかつた。

4 その後、昭和四四年七月上旬頃になつて、訴外境文一が、加害車持込みの形態で被告の下請となつたが、被告の前記システムは、具体的な入出庫手続を含め、依然として、不変であつて、被告の寄託および運送各契約に基く契約上の責任は、前記「受取書C」を原告営業所に送付してはじめて全うされ、その結果、契約上の対価が得られることになつていた。ところで、本件事故は、訴外境が運送先から「受取書C」を被告営業所まで持ち帰る途中において、発生したものである。

(三) 以上のとおりであるから、被告が、本件事故当時、加害車に対し、運行支配、運行利益(運送賃の収受等)を各有していたことは、明らかである。

B  仮に、被告主張のとおり、原、被告間の運送契約が中途より存続しなくなつたとしても、寄託契約は存続しており、同契約の履行として前記四枚複写の出庫指図書に基いて出庫作業がなされていたのであつて、受荷主等の第三者も、白ナンバーの非公式業者にすぎない訴外境らが被告名の入つた「送り状B」を持参(なお、本件事故は、前記のとおり、「受取書C」を持ち帰る途中に、発生している。)していたことから、被告の管理下における配送であると認識していたもので、現に、配送商品に対する受荷主の苦情は、まず被告営業所に対してなされ、被告営業所は、昭和四四年五月頃(前記A(二)3記載のトラブルの発生後)においても、右苦情を原告営業所に伝えていた。したがつて、被告が、少くとも、寄託契約履行の範囲内で、本件事故当時、加害車に対し、運行支配、運行利益を各有していたことは、明らかである。

C1  ところで、原告にも、本件事故当時、加害車に対する運行支配、運行利益が各存したものと考えられるから、結局、原、被告は、加害車に対する重畳的運行供用者に該当し、訴外李、同佐々木に対し、いずれも、前記各損害を賠償する責任が存し、原、被告は、共同不法行為者の関係にある(民法七一九条参照)。

2  しかして、原、被告の負担部分は、前記AないしC1の諸点に照らすと、原告のそれを五%、被告のそれを九五%とするのが、相当である。

3  然るに、いかなる事情からか、右訴外人らは、被告を不問に付したまゝ、原告のみを運行供用者であるとして、東京地方裁判所に対し損害賠償の訴訟(同庁昭和四八年(ワ)第一、一四八号事件)を提起したが、同五一年二月一九日、同裁判所により、原告に対し、右訴外人らの前記各損害(内容、金額共に前記別紙二と同一)の支払を命ずる旨の判決が言渡されるに至り、その後、これに対する控訴審(東京高等裁判所同年(ネ)第四一六号損害賠償請求控訴事件)において、同年九月三日、原告、訴外人ら間に、「原告は訴外李に対し金一八三万三七六五円を、同佐々木に対し金一二五六万六二三五円を、いずれも同月一〇日限り支払い、右訴外人らは原告、被告、訴外境に対するその余の各請求権を放棄する、等」を内容とする、裁判上の和解が成立するに至つた。

しかして、原告は、同月三日、右訴外人らに対し、右和解金の全額を支払つた。

4  ところで、右支払金額中、原告の負担部分を超過する分(訴外李の分―金一七四万二〇七六円、同佐々木の分―金一一九三万七九二三円、合計―金一三六七万九九九九円)については、原告が、法律上の支払義務なくして、被告のために、立替払をしたものであるから、原告は、被告に対し、民法七〇二条(事務管理による費用償還請求権)の準用により、あるいは共同不法行為者の求償権に基いて、右記、金一三六七万九九九九円の支払を求めることができる。

四  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(但し、遅延損害金は、訴状送達の翌日から民法所定年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する認否等

請求原因一、二項の事実全部、三項A(一)1、2の各事実をいずれも認める。同項A(一)4(イ)、(ロ)の<1>ないし<7>の各事実は、訴外関谷が被告の下請人となり、訴外森下がその孫請人となるまでの手続としては、いずれも認める。しかしながら、右下請人および孫請人ができてからは、次の点(その余の点を除く。)において異なるようになつた。すなわち、孫請人の訴外森下が、毎朝、原告営業所に出勤し、当日配送する商品の品目、数量、配達先等の指図を受けて、これを被告営業所に通知するようになり、「出庫指図書A」の「受領印」欄には、「森下」と署名し、また、その「輸送者氏名」欄には、「関谷便」と記入するようになつた。なお、同項A(一)4(ロ)<9>の事実は認める。同項A(二)1の事実は認めるが、孫請人の訴外森下は、自己所有の加害車(昭和四三年七月頃、訴外関谷の母親から借金して、買受けたもの。)を、被告営業所に持込み、専ら、原告営業所の取扱商品のみを運送していたものである。同項C3の事実を認める。

同項A(一)3、4(ロ)<8>、A(二)2の各事実はいずれも不知、同項中のその余の各事実はいずれも否認する。なお、原、被告間の前記寄託契約は、被告が被告営業所の倉庫の一部を賃貸する、いわゆる、坪貸であつたため、原告営業所の従業員二、三名が右倉庫に出張し、商品の整理、車両に対する積荷の手伝等をしていたが、訴外森下が孫請人となつてからは、訴外森下も、原告営業所の仕事の存否に拘らず右倉庫に待機するようになつた。しかしながら、右待機中に、被告営業所側が訴外森下を使用したことは、一度もない。

以上のとおりであるから、訴外森下は、孫請人となつた当初から、原告の支配下に置かれていたものというべきで、被告には、当初より、加害車に対する、運行支配、運行利益が存しなかつたものである。

第四被告の主張

仮に、当初において、被告が、加害車に対して、運行支配、運行利益を各有していたとしても、少くとも、昭和四四年四月下旬以降は、被告の右運行支配、運行利益は、いずれも喪失するに至つた。そのことは、次の諸点より、明らかである。

(一)1  原、被告間の前記運送契約は、同四四年四月下旬頃、以下の経緯により、合意解除され、かつ、その頃、原告と訴外森下間に、直接、新たな運送契約が、書面により、締結されることになつた。すなわち、訴外森下は、同下旬頃、訴外関谷の母親から、前記借金の返済を迫られたため、訴外関谷より独立することを決意し、独断で、原告営業所々長との間に、直接、原告営業所の取扱商品(被告営業所の倉庫に寄託してある商品)につき、新運送契約を締結すると共に、運送賃の前借を受けたが、その際、原告営業所側は、被告営業所に対して、前記運送契約を解除する旨および原告営業所は訴外森下と直接運送契約を締結した旨を、各通告した。そこで、被告営業所の訴外梅川正次は、訴外関谷を伴つて原告営業所に赴き、原告営業所々長に対して、前記解除の申入につき抗議したところ、同所長より、「運賃が安いので、森下と直接運送契約を締結した」旨申し渡され、前記運送契約の存続を断わられてしまつた。こゝにおいて、被告側は、やむなく右解除の申入を承諾したため、前記運送契約は、原、被告により、合意解除され、それ以後、前記寄託商品の運送は、原告と直接新運送契約を締結した訴外森下によつて、行われるようになつた。しかして、右合意解除以降、原、被告間には、運送に関して、何らの事実関係も、法律関係も、存在しなくなつた。

2  右直接運送契約によつて、訴外森下の運送賃は月極めかつ訴外森下に対する直接払いとなつたのみならず、さらに、訴外森下の拘束時間まで設定され、訴外森下は、完全に原告の指揮命令下に組込まれるようになつた。

3  右直接契約より以降は、訴外森下は、配送終了後に受荷主の受領印のある、前記「受取書C」を被告営業所倉庫係に交付することをやめ、翌日まとめて、原告営業所に持参し、前日の運送報告をするようになつた。

4  右直接契約より以降は、加害車のボデイに、原告会社名およびそのマークが表示され、加害車は、名実共に原告の支配下に入るようになつた。

5  右直接契約より以降は、「出庫指図書A」の「輸送者氏名」欄には、「ツダ便」と記入され、従前と区別された取扱になつた。

(二)  しかして、昭和四四年八月上旬頃、訴外森下が病気になつたので、原告は、訴外森下との前記運送契約を合意解除し、訴外森下が連れて来た、訴外境との間に、改めて直接、別個の運送契約(その内容は、訴外森下の時のものと、ほゞ同様であつた。)を、裏面により、締結(なお、訴外境も、加害車を使用)したものである。

(三)  以上の次第で、右直接契約より以降は、被告営業所の寄託商品が、同営業所の倉庫より出庫され、右出庫が完了した時点において、被告の全責任が免除されるようになり、その後の加害車に対する積荷や配送の事務、現実の運送の途中等の事柄については、被告側の関知するところではなくなつた。したがつて、本件事故当時(右直接契約より以降に発生)において、被告の、加害車に対する、運行支配、運行利益が各喪失していたことは、明らかである。

第五被告の主張に対する反論等

1  被告の主張(一)1、(二)の各事実はいずれも否認する。その詳細は、請求原因三項A(二)3、4で述べたとおりである。同(一)2、3、(三)の各事実もいずれも否認する。

2  被告の主張(一)4の如く、訴外森下が、加害車に原告会社名およびそのマークを表示したことはあるが、原告営業所々長において、即日発見、消去するよう要求したため、表示してから数時間後に全て消去されており、原告が、右表示を容認したようなことは、全くなかつた。

3  被告の主張(一)5の如く、「輸送者氏名」欄に「ツダ便」と記入されたことはある。しかしながら、右記載は、被告営業所従業員が記入した、原告営業所の取扱商品を配達するための、被告営業所内部における配車についての便宜上の記号(運転者記号)にすぎず、特別の意味を有するものではなかつた。

4  なお、原、被告間の寄託契約は、運送契約と不可分の関係にあり、入出庫その他の管理も被告がなしていたもので、被告に管理責任が存したことは、倉庫の賃借料の中に、保管料のほかに入出庫料まで含まれていた点に照らし、明らかである。因に、坪貸というのは、寄託契約上、商品の占有面積を定めるといつた、料金計算の便宜上の手法にすぎない。

5  なお、我国の運送業界において、数社の大手業者が無数の中小零細業者を下請に使つていることは、公知の事実であるところ、本件で、被告が、特に、白ナンバートラツクを下請に使つた理由は、被告営業所における従業員のレクリエーシヨン資金を捻出しようとしたことにあつた。しかして、原告側には、白ナンバートラツクまで下請に使わなければならないような事情は、全く存しなかつた。

第六証拠〔略〕

理由

一  請求原因一、二項の各事実、同三項A(一)1、2、4の(イ)および4の(ロ)<1>ないし<7>(但し、訴外関谷が被告の下請人、訴外森下がその孫請人となるまでの間に限る。)、4の(ロ)<9>、同項A(二)1の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  ところで、成立に争いのない甲第四、第五号証、同第一三号証の一ないし五、同第一四号証、同第二二号証の一ないし一五、同第二三号証の一ないし八、同第二四号証、同第二五号証の一、同第三二号証の一ないし二〇、同第三三号証の一ないし三二、同第三四ないし第三七号証(但し、以下四つにつき、後記採用しない部分を除く。)、同第三八、第四三号証、乙第一号証の一、二、同第四二、第四三号証(但し、以上二つにつき、後記採用しない部分を除く。)、証人梅川正次および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二ないし第四一号証、証人斉藤輝二、同牛島秀吉、同北本紀代子、同梅川正次、同大森隆嗣、同関谷英二、同森下昭の各証言(但し、以下七名につき、いずれも、後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)1  すなわち、本件事故当時における、原告営業所の月間売上高は、約二〇〇〇万円、その従業員数は所長を含め五名(訴外斉藤輝二=所長=、訴外大森隆嗣、訴外牛島秀吉、訴外北本紀代子、訴外薬師寺宏の以上五名)、被告営業所の従業員数は、男子五名、女子三名位、その営業用トラツクは一〇台、寄託用倉庫の面積は約一五〇坪位であつたところ、原告営業所は、昭和四三年五月に開設されたばかりで、取扱商品が少なかつたため、当初は、被告との間に前記倉庫賃貸借契約のみを締結(争いのない事実)し、運送は、必要な都度被告に依頼していたにすぎなかつたが、その後、原告営業所の取扱商品(以下、単に原告商品という。)も次第に増えて来たので、被告が倉庫と運輸の双方を一貫してやつてくれる大手業者であつたことから、被告との間に、改めて、前記寄託契約を締結したのみならず、さらに新たに、前記運送契約までも締結するようになつた(いずれも、争いのない事実)。

2イ  しかして、右倉庫賃貸借および寄託各契約の結果、次のような事実が生ずることになつた。すなわち、被告営業所により、その名前入りの前記四枚複写の出庫指図書(訴外関谷が下請人になるまでの間に限り、争いのない事実)が使用され、そのうちの「送り状B」は、原告商品と共に受荷主に交付され(右間に限り、争いのない事実)、また、そのうちの「受取書C」は、原告商品の配送後、受荷主の受領印を得た状態で、被告営業所に戻つて来るようになつた(右間に限り、争いのない事実)。したがつて、原告商品に対する苦情は、先ず、被告営業所に持込まれることになつた(現実に、昭和四四年五月頃、持込まれたことがあつた。)。また、原告商品の出庫、トラツクに対する積込みの各作業は、被告営業所の従業員によつて、行われることになつた(右間に限り、争いのない事実)。

ロ  しかしながら、同時に他面において、次のような事実も存在した。すなわち、前記四枚複写の出庫指図書は、寄託契約のみの時(換言すれば、運送契約を伴わない時)でも、被告営業所の倉庫を使う者全員(すなわち、原告に限られない。)に対して、使用されていたもので、また、前記「受取書C」(あるいは、そのコピー)は、被告営業所を経由するものの、何らかの方法で原告営業所にも届けられ、原告営業所では、そのことにより、原告商品が受荷主に届けられたことを確認していた。のみならず、被告営業所宛に原告商品に対する苦情が持込まれた時でも、被告営業所としては、その旨を原告営業所に取次げば事足り、原告商品に関して受荷主との間にトラブルを起したことは、一度もなかつた。また、原告の締結していた前記倉庫賃貸借および寄託各契約は、入出庫を伴うもの(なお、被告営業所には、当時、入出庫を顧客の方で行う方式の、寄託契約も、存在した。)であつて、被告営業所の従業員が原告商品の出庫やトラツクに対する積荷の作業を担当する(前記間に限り、争いのない事実)ことは、右各契約内容に含まれており、原告営業所では、右作業に対し、入出庫料を支払つていた。それだけでなく、被告営業所の倉庫には、昭和四四年四月以降、原告営業所の従業員訴外牛島が、週に三、四回出張して来、通常一、二時間程度滞在して、積込む商品の指示、在庫数量の確認、月末における棚卸(時には商品の置場所も変更した。)等の作業をし、稀には、トラツクに対する積荷の手伝すらしていたことがあつた。因に、右各契約は、いわゆる坪貸であつて、そのため、被告営業所では、原告商品の保管依頼が増えても坪数の範囲内で保管をストツプしていた(但し、追加保管料を支払えば、一時的に坪数の枠を越えることを認めていた。)のみならず、原告営業所に対し、原告商品に対する火災保険料は勿論のこと、倉庫の電気料、その他の倉庫の付帯費用、その修理費等まで、負担させていた。

3イ  ところで、被告営業所では、その後運送業務が繁忙となつたため、昭和四三年一二月頃(因に、甲第二二号証によれば、少くとも、同四四年一月分からの運賃は、訴外関谷に対して、支払われている。)、原告商品の運搬に訴外関谷を下請として使うことにし(争いのない事実)、被告営業所と訴外関谷との間に、口頭により下請契約を締結した。その内容として定められた点は、<イ>訴外関谷が原告営業所より直接もらい受ける(争いのない事実)、月額金一五万円(なお、月極めによる定額である点は、原、被告間の運送契約により定められていた。)中、訴外関谷が金一万五〇〇〇円を天引きした上、訴外森下(孫請人)(争いのない事実)(尤も、右下請契約直後の三、四日間は、訴外関谷側の運転手訴外保崎が運転し、その後から、訴外森下が運転するようになつた。)に金一二万円を分配し、残金一万五〇〇〇円を、運送契約の名義人である被告側に、名義料ないし窓口料として支払うこと、<ロ>勤務時間を午前八時半から午後五時半までとすること、等であつた。なお、訴外関谷は、右名義料を支払つた際に、被告側より領収書を徴しており、また、被告側では、メモ的な帳簿に右名義料を収入として記載し、右金員を、被告営業所の事務員に保管させ、その従業員のレクリエーシヨン費用に使つていたが、この事は、当時の被告営業所々長訴外渡辺義也も了解していた。また。訴外関谷の下請中に、荷崩れにより原告商品を破損したことがあつたが、原告営業所に対する弁償は、被告側と訴外関谷ですることになつていたのみならず、既に、訴外関谷の下請時代から、原告商品の運送量がトラツク一台分に満たないため、定期便に混載して運送してもらつたことがあつた(これを、小口運送と称していた。)が、その時の小口運送業者に対する手配は、被告側においてこれを行つていた(但し、一応原告側の了解を取り付けていた。)。なお、訴外関谷が下請人になつてからも、前記請求原因三項A(一)4の(イ)および4の(ロ)<1>ないし<7>の各事実(訴外関谷が下請人になるまでの間に限り、争いのない事実)、4の(ロ)<9>の事実(争いのない事実)や理由二(一)2に記載の「受取書C」の流れに関する事実(すなわち、入出庫手続)は、ほぼ同一であつた。

因に、前記のように、訴外関谷が被告の下請となりながら、他方において、原告営業所より運賃の直接払を受ける形になつたのは、訴外関谷の車がいわゆる白ナンバー車(すなわち、運送事業の免許を受けていない車)であつたため、原告営業所々長の訴外斉藤が、訴外関谷と直接契約をすることを、躊躇したためであつた。なお、訴外森下の車(加害車)(訴外森下個人が所有していた。)も、いわゆる白ナンバー車であつた。

ロ  しかしながら、同時に他面において、次のような事実も存在した。すなわち、訴外関谷の下請時代においてすら、配送すべき原告商品の品名、数量、配達先は、原告営業所によつて、伝票(甲第三二号証のこと)ないし電話により(前記間に限り、争いのない事実)、被告営業所を通じて、下請側に対して指示されていたが、被告営業所の方で右指示を変更することはできなかつた。

4  ところで、その後の昭和四四年七月頃、訴外森下が病気になり、訴外境がピンチヒツターの形(したがつて、訴外境は、その頃、原告営業所よりもらい受けた金員の一部を、訴外森下にわたしていた。)で、加害車を運転するようになつたが、さらにその後に、訴外森下の病気が本格化したため、ついに、同年八月上旬頃、訴外境が、金一二、三万円のほかに、加害車の月賦の残金、加害車の車検料(車検の直後だつたため)、保険料等を支払うことにした上で、訴外森下より、加害車を譲受けることになつた(尤も、自賠責保険の契約者名=名義人=は、本件事故当時まで、訴外森下のままだつた。)。しかして、本件事故は、訴外境が、右譲受後の加害車を運転して、原告商品を配達し、受荷主より前記「受取書C」に受領印をもらい、既に帰途についていた際に、発生したものである。

(二)1  さて、訴外森下は、加害車の購入に際して、その代金を訴外関谷の母親より借り入れていたところ、昭和四四年三月初め頃(甲第二二号証参照)、訴外関谷宅で、訴外関谷より、孫請料(前記のとおり、金一二万円)をもらう機会に、右母親より右借金の返済方を迫られたことがあつた。その時、訴外森下が、その月は二、三万円にして欲しい旨懇請したにも拘らず、右母親よりこれを拒絶されるに至つたため、右金一二万円の殆んど全部を、右母親に返済せざるを得なくなつてしまつた。そのため、訴外森下は、当座のガソリン代にも事欠く有様となつたので、やむなく、原告営業所々長の訴外斉藤のところまで相談に赴き、右の経緯を説明し、訴外斉藤から約五万円を借り入れたが、その際に、訴外森下は、訴外斉藤に対して、原告営業所と直接、運送契約を締結したい旨申し入れるに至つた。これに対し、訴外斉藤は、訴外森下の勤務態度が夜遅くまで仕事をする等、真面目であつたこと、直接契約をすれば、訴外関谷等の天引分がなくなるので、原告営業所にとつて安くつくこと、訴外森下の手取分も増えること等の点を考えて、加害車が前記のとおり白ナンバーであつたにも拘らず、右申込みを承諾することにした(なお、訴外斉藤は、右承諾につき代理権を有していたもので、被告は、弁論の全趣旨により、その旨を主張しているもの、と解される。商法四三条参照)。

ところで、訴外関谷は、訴外森下が、自己の母親と右トラブルを起した結果、原告と直接契約をするようになるのではないか、そうすると、前記天引分を喪失してしまう、と心配し、訴外梅川(被告営業所の従業員)と相談の上、訴外斉藤に対し、原、被告間の前記運送契約の存続方を申し入れることにし、右トラブルの翌日、訴外梅川と共に、訴外斉藤に面会(なお、訴外関谷は、その際、酒二本を持参した。)し、右存続方および運賃の訴外関谷に対する直接払の継続(すなわち、訴外森下に対する直接払の取り止め)を懇願したところ、訴外斉藤から、それまでの原、被告間のつながりは断る、訴外森下は直接原告側で使用する、運賃は訴外関谷に対しては支払わず訴外森下に渡す旨、回答されるに至つた。なお、その際、訴外梅川も、訴外斉藤に対し、もう一度元に戻してくれるよう要請したものの、訴外斉藤の容れるところとはならなかつた(因に、前記運送契約には、期間の定めが存しなかつた。甲第二四号証、乙第一号証の二、各参照)。しかして、その時から、訴外森下と訴外関谷、被告営業所との間における、従来のような関係は、消滅してしまつた。

なお、訴外森下は、右の直後に、加害車に、原告の会社名およびマークをペンキで書き入れてきたことがあつた(なお、訴外関谷の下請時代に、そのような書き入れは、存しなかつた。)。尤も、右書き入れは、訴外斉藤の要望により、間もなく、消去されてしまつたが。

2  ところで、原告と訴外森下との前記直接契約の内容は、次のとおりであつた。<1>訴外森下に対する運賃は、月極めで、月額金一五万円に近い額にする(但し、出来高払い)こと(なお、実際に支払われた金額は、昭和四四年三月分―金一五万円、四月分―金一四万七五〇〇円、五月分―金一五万円、六月分―金一七万円、等で、金一五万円前後であつた。)、<2>右運賃は、訴外森下に対し直接支払うこと、<3>訴外森下の勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時三〇分までとすること、等。

3  ところで、入出庫手続その他は、右直接契約以降も、次に述べる点を除いて、訴外関谷の下請時代と殆んど変らなかつた。しかして、変つた点は、次のとおりであつた。<1>前記のとおり、運賃が、月極めではあるが、出来高払いとなり、仕事のない日(稀に、そのような日もあつた。)の分は日割で差引かれるようになつたのみならず、月一度の一括払ではなく、月に何回かの分割払(なお、この方が、現金が早目に入る点で、訴外森下にとつて有利)となつた(甲第二二号証参照)。<2>前記のとおり、運賃が、訴外森下に対する直接払いとなり、右運賃の一部が、訴外関谷や被告営業所に流入するようなことは、なくなつた。因に、昭和四五年春に、原告営業所の所長が更迭され、新所長の方針により、白ナンバー車の使用は廃止され、被告営業所の営業車に運送をしてもらう方式になつたが、訴外関谷や被告営業所に右運賃の一部が流入するようなことがなくなつた事実は、前記直接契約以降右更迭に至るまで、終始一貫していた。<3>数こそ少いものの、訴外森下が、朝の出勤時に、原告営業所に立寄り、そこで配達商品名等の指示を受け、時には、原告営業所の伝票(甲第三二号証のこと)を被告営業所に持参することもあるようになつた(なお、それ以外の場合は、従来どおり、訴外森下は、毎朝直接、被告営業所の倉庫に出勤し、仕事の有無に拘らず、待機=争いのない事実=し、原告営業所の指示=但し、昭和四四年四月からは、訴外牛島が、受注表より拾つて、指示=があり次第、運搬できる態勢を整えていた。因に、右待機中に、被告営業所は、訴外森下に対し、原告営業所からの電話を取次いだことはあつても、訴外森下を、被告営業所のために使つたことは、なかつた)。<4>稀ではあるが、訴外森下が、前記「受取書C」を、原告営業所に直接持参することも、あるようになつた。<5>例外的ではあるが、訴外森下が、原告営業所の保管されていた商品(但し、右保管分は、取扱商品の全体量の一割以下程度にすぎなかつた。)を、原告営業所から積荷することも、あるようになつた。<6>訴外森下は、訴外岡を助手として使用していたが、訴外岡に対する報酬の支払いは、訴外森下が直接払いを受けた前記運賃の中から、するようになつた。<7>訴外森下は、従来から、原告営業所の商品の運搬のみをし、それ以外の仕事をしたことがなかつた(なお、前記のとおり、原告営業所の仕事がない日が稀にはあつたけれども、それ以外の日は原告営業所の仕事を朝から夕方まで殆んどし通しで、それ以外の仕事をすることは、事実上不可能であつた。)が、訴外森下が休んだ際の代りの運送業者の手配は、原告営業所が自らあるいは被告営業所を通じて、するようになつた。因に、原告営業所は、訴外森下以外に、豊栄運輸、日本通運、丸徳運送、川崎運送、昭和コーニア、松田運送、九州産交、五福運送、上組、富士運送、企救運送、千石運送等および小口運送業者の多数(中央運送、九州トラツク、西肥貨物、鹿児島海陸運送、筑後運送、興国運輸、九州運送、富士運送、西鉄運輸、水上トラツク、九州産交、富島運送、西九州運送、日本通運、昭和陸運、千石運送、熊本運送=熊運=、博運社、阪九運送、宮崎運輸、久留米運送、博多運輸、南国海運等)に対しても運送を依頼しており(甲第二二号証参照)、小口運送業者に対する依頼は、原告営業所が直接する分と被告営業所を通じてする分とがあり、その割合は、半々位であつた。しかして、前記直接契約以降所長の更迭に至るまで、被告営業所の営業車に運送を依頼したことは、一度もなかつた(因に、甲第二二号証には、被告に対する「運賃」の支払の記載が、存しない。)。

4  その後、前記のとおり、訴外境が訴外森下の仕事を引継ぐ形になつた(なお、訴外境は、初めて原告営業所の仕事をするようになつた際、訴外斉藤のところに挨拶に赴き、その後に、訴外斉藤らと一緒に、飲食に行つている。)が、入出庫手続その他(理由二(二)3で述べたこと)は、次に述べる点を除いて、訴外森下の時代と殆んど同一であつた。しかして、訴外境になつてから、特に目立つようになつた点は、次のとおりであつた。<1>前記運賃は、訴外境が仕事をするようになつてからは、訴外境や訴外小島(訴外境の義兄で、訴外境を原告営業所に紹介した人物)に対して、支払われるようになつた(但し、最初の数回分に限り、依然、訴外森下に対し、支払われている。)。尤も、領収書は、本件事故の発生に至るまで終始、訴外森下名義で切られており、原告営業所の帳簿(甲第二二号証)上も、終始、訴外森下宛の支出になつているが。<2>原告営業所より、訴外境に対し、「サツシなので、積み降しの時に角を崩さないように注意してくれ」とか、「客に対する言葉使いや挨拶を丁寧にしてくれ」等の指示がなされるようになつた。また、原告営業所から、出先にいる訴外境に対して、指示がなされたことがあつた。<3>原告営業所の従業員が、訴外境運転の加害車に同乗して、販売店に赴いたことが、数回あつた。<4>訴外境は、自己の才量で(すなわち、原告営業所に断ることなく)、助手(訴外道田および訴外丹波一宏)を依頼することができ、右助手に対するお礼は、訴外境が原告営業所よりもらつた前記運賃の中から、これをしていた。<5>訴外境が休んだ際の代りの運送業者の手配は、原告営業所で、これをし、訴外境が被告営業所と接触したことは、なかつた。<6>訴外丹波は、被告営業所の倉庫で、訴外境や被告営業所の従業員と一緒に、積荷作業(訴外関谷が下請人になるまでの間に限り、争いのない事実)をしたことがあつたが、その際、被告営業所に対し、特に訴外境の手伝いに来た旨断つたことは、一度もなかつた。

5  ところで、前記のとおり、本件事故が発生するに至つたが、その後に、訴外境は、原告営業所に対し、本件事故の発生報告をしているのみならず、後日、訴外森下と共に、訴外斉藤のところに詫びに赴いているが、その反面、訴外斉藤側では、訴外境に対し、本件事故に関して原告の名前を出すな等と指示しただけでなく、前記東京地裁の裁判に対処するため、訴外境に対し、本件事故現場の説明をするよう求め、原告営業所に訴外境を呼び寄せたりしている。

なお、本件事故にも拘らず、訴外境は、昭和四四年九月まで、原告営業所の仕事を継続し(但し、加害車が修理に出されたため、訴外森下の弟の車を一時借用した。)、その後、右仕事は、宮川運送(同年一〇月)および訴外小島(同年一一月以降)(いずれも、甲第二二号証参照)によつて引継がれたが、右仕事が、少くとも、前記所長の更送に至るまでの間に、被告営業所の営業車によつて、なされたことは、一度もなかつた。

6  因に、被告営業所備付の前記「出庫指図書A」の「輸送者氏名」欄、「車両番号」欄および「受領印」欄の各記載には、次のような変遷が認められる(乙第二ないし第四一号証各参照)。すなわち、昭和四三年一二月一三日分―「輸送者氏名」欄、自、「車両番号」欄、白地。「受領印」欄、森下(なお、以下において、「 」の記載順序は、同一であるから、その記載を省略する。)、同月一六日分一枚目―自、関谷便、森下、同日分二枚目―白地、関谷便、森下、同月一七日分三枚共および同月一八日分から同月二〇日分まで―白地、関谷便、森下、同四四年四月二二日分および同月二三日分五枚共―セキヤ便。白地、岡(訴外森下の助手)、同月二四日分―先方便、白地、森下、同月二六日分三枚共―ツダ便、白地、もりした、同年六月一九日分―ツダ便、白地、森下、等と。しかして、右の記載の変遷から、少くとも、次のことは、推認できる。すなわち、被告営業所の事務員は、昭和四三年一二月一三日の段階において、既に、訴外関谷が下請人、訴外森下が孫請人となつていたにも拘らず、その車を被告営業所の営業車と勘違いしたが、あるいは下請車なので、右営業車と同一視してよいものと考えて、「輸送者氏名」欄に自と記入したものの、同月一六日になつて、右勘違いに気が付いたか、あるいは右考え方を変えたかのいずれかの理由により、「輸送車氏名」欄には自と記載したりあるいは白地のまゝにし、他方、「車両番号」欄に関谷便と記入するようになり、さらに、同月一七日から同月二〇日までの間は、「輸送者氏名」欄を白地のまゝにし、「車両番号」欄に関谷便と記入し、その後いつの頃からか、「輸送者氏名」欄の方にセキヤ便と記入し、「車両番号」欄の方を白地にするようになり、それが同四四年四月二二日、二三日分に現われるようになつた。ところが、同月二四日前後に、前記原告営業所と訴外森下との間の直接契約が、被告営業所の末端事務員にまで通告されるようになつたためか、同日の段階では、「輸送者氏名」欄に先方便という表現で記入(なお、「車両番号」欄は、白地)されるようになり、同月二六日になると、「輸送者氏名」欄にはつきりツダ便(なお、「車両番号」欄は、白地のまゝ)と記入されるようになつたのではないか、と。

また。原告営業所の伝票(甲第三二号証のこと)、被告営業所備付の前記「出庫指図書A」および「受取書C」を、昭和四四年八月二二日(本件事故日)を照準にして、各対比すると、次のような事実が認められる(甲第一三、第三二、第三三号証、乙第三七ないし第四一号証各参照)。すなわち、<1>原告営業所の伝票によると、同日の配達予定(指図)先は、少くとも、広川材木店、藤堂建材店、梅田材木店、善徳丸商店、堀川商店の五店であつた(甲第三二号証の一〇)。<2>ところが「受取書C」によると、同日現実に配達された所(受荷主)は、広川材木店、藤堂建材店、善徳丸商店、堀川商店、河北本店、ニシモクの六店であつて(したがつて、前記伝票に記載のない二店は、原告営業所より、電話によつて、指示された=争いのない事実=ものと思われる。)、その「輸送者氏名」欄の記載は、順次、ツダ便、ツダ便、ツダ便、ツダ便、<自>、ツダ便と、また、その「受領印」欄の押印(はんこの印影)は、順次、○川(上の字は、判読不能)、藤堂、白地、堀川、下城(但し、これは署名)、白地となつており、「車両番号」欄は、いずれも白地となつている(甲第三三号証の一四ないし一九)。<3>他方、「出庫指図書A」によると、配達先(受荷主)は、広川材木店、藤堂建材店、善徳丸商店、堀川商店、ニシモクの五店であつて、その「輸送者氏名」欄の記載は、いずれも、ツダ便と、その「受領印」欄の署名は、サカイないし境となつている(甲第一三号証の一ないし五、乙第三七ないし第四一号証)しかして、右の点から、少くとも、次のことは、推認できる。すなわち、本件事故日に関する限り、ツダ便と記載のある分は、すべて訴外境によつて運搬され、即日、受荷主のもとに届けられ、概ねその受領印を得ているものと考えられ、したがつて、訴外境が、原告営業所の専用便の役割を果していたこと(前記のとおり、原告営業所は、他の運送業者を多数使つていたにも拘らず)を裏付けるに十分ではないか、と。

以上の事実を認めることができ、これに反する甲第四〇号証、同第三四ないし第三七号証および乙第四二、四三号証の各一部、これに反するかのような検甲第二号証の一ないし四は、いずれも、前掲証拠と対比し、採用せず、また、これに反する前記七名の各証言の一部は、いずれも、前掲証拠と対比し、措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠は、存しない。

三  そこで、以上認定の事実のもとに、以下に考えてみたい。

(一)  理由一、二(一)1、2イ、3イ、4の各事実を総合すると、原、被告間に運送契約、被告、訴外関谷間に下請契約が各存在し、訴外森下は訴外関谷の孫請人、訴外境は、訴外森下の引継人であつたのみならず、被告営業所側は、名義料(窓口料)の徴収、原告商品の破損の弁償、小口運送業者の手配等をし、しかも、原告商品を被告営業所の入出庫手続に則つて、寄託、積荷、運搬し、〝受荷主に対し、被告の名入りの「送り状B」を原告商品に添付して届けた上、同時に受荷主からは、右名入の「受取書C」に対して受領印をもらつて、被告営業所に持帰つていた(したがつて、受荷主の苦情は、まず、被告営業所に対し、なされていた。)ところ、本件事故は、右持帰る途中において発生するに至つた〟こと等の点が明らかであるから、もし、右の点以外に、証拠上、特段の事情(本件事故当時における、運行支配、運行利益の各喪失)が認められないならば、被告に、運行支配、運行利益が各存在したものと考えるのが、相当である(昭和四四年九月一二日最高裁判所判決参照)。

(二)  そこで、右特段の事情の存否について、以下に吟味してみる。理由二(二)1ないし6の各事実を総合すると、原、被告間の運送契約は、昭和四四年三月初め頃の原告、訴外森下間の前記直接契約以降は、少くとも、事実上作動しない状態(すなわち、名存実亡の状態)になつた(因に、右運送契約は、原告の九州支店長と被告の水俣支店熊本営業所長の間で、書面によりなされている=乙第一号証の二、甲第二四号証各参照=ので、原告の九州支店熊本営業所長訴外斉藤と被告営業所従業員訴外梅川との間の、口頭によるやりとりをもつて、合意解除の存在を認定することには、代理権の存在等に照らして、若干の疑義が存する。尤も、訴外斉藤は、商法四三条により代理権を有し、被告営業所長は、遅くとも、昭和四四年四月二六日の段階=すなわち、「出庫指図書A」の「輸送者氏名」欄にはつきりツダ便と記入された段階=で、追認=民法一一三条=し、その時に、合意解除が成立したもの、とみれないでもないが。)が、訴外森下は、それ以前から、被告との間に何ら直接の契約関係を有しなかつたのみならず、右名存実亡状態への突入によつて、事実上も、被告営業所から指示その他の拘束を受けるいわれがなくなるに至つた反面、前記直接契約によつて、運賃、拘束時間等につき、原告営業所による規制の下に入るようになり、原告営業所に対する出勤、原告営業所による指示の受領、原告営業所に対する「受取書C」の持帰り、原告営業所からの商品の積荷等をするようになり、原告営業所の専用便となつたこと、また、訴外森下が休んだ時の代替運送業者の手配も原告営業所がするようになつたこと、訴外森下は、自己の運賃により、助手を使用していたこと、原告営業所が訴外関谷や被告営業所に対し運賃の一部を交付するような事態は、消滅したこと、しかして、その後、訴外境が訴外森下より加害車を譲受け、その仕事を引継ぐ形になつたけれども、原告営業所との関係は、訴外森下の時とほゞ同一であつた(尤も、原告営業所の切つた領収書の名宛人や原告営業所備付の帳簿の記載からすると、訴外境が、果して、本件事故当時までに、原告営業所と直接契約を結んだ状態にまで至つていたものか、あるいは、訴外森下の単なる下請人的存在にとどまつていたものかは、必ずしも明らかではないが、少くとも、原告営業所とは、右記のとおりの関係=すなわち、訴外森下の時とほゞ同一の関係=にあつたものの、被告営業所との間には、法律上は勿論のこと、事実上も指示その他の拘束を受ける関係には、全くなかつた=訴外境の助手も含めて、然り=ことは、間違いない。)だけでなく、さらに、原告営業所から、原告商品の取扱方法や接客態度等に対する指示(なお、指示は、出先に対してなされたこともあつた。)までも受けるようになり、時には、加害車に原告営業所の従業員が同乗したこともあつたこと、また、本件事故後は、原告営業所に対して、その発生報告、事故現場の説明等までもしなければならなかつただけでなく、訴外斉藤から、本件事故に関して原告名を出さないようにと、口止めまでされていたこと等の点が明らかであるから、結局、被告には、本件事故当時、前記特段の事情が存在していたもの、といつて差し支えない、と考える。そうすると、被告は、本件事故当時、加害車に対する運行支配、運行利益を、いずれも喪失しており、加害車に対する運行供用者に該当しないことになるから、自賠法所定の責任を負うことはない、ことに帰する。

因に、昭和五〇年一一月二八日最高裁判所判決のいわゆる「社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場にある者」(立場説)に該るか否かというメルクマールに照らして、吟味してみても、被告が、加害車に対する運行供用者に該るものではない、と考える。

(三)  最後に、被告は、前記寄託契約の存在のみに基いて、果して、運行供用者責任を負うものか否かについて、以下に検討する。既述によれば、理由三(一)〝 〟の点が明らかであるが、他方において、理由二(一)2ロの事実を総合すると、被告の名入りの「送り状B」や「受取書C」は、被告と寄託契約のみを締結した者全員(すなわち、原告に限られない。)に対して使用されており、しかも、「受取書C」は、原告営業所にも届けられていたこと、また、被告営業所は、受荷主の苦情を、原告営業所に取次げば、事が足りていたこと、なお、原、被告間の寄託契約は、入出庫手続を伴うもので、被告営業所の従業員が積荷作業をするのは契約上当然のことであつたのみならず、原告営業所の従業員も被告営業所の倉庫に出張し、種々の仕事をしていたこと、さらに、右寄託契約によれば、一応、保管量には、賃借していた坪数による制限が存し、しかも、右倉庫の電気料、付帯費用、修理費等は、原告側の負担となつていたこと等の点が明らかであるから、結局、以下の諸点を総合考慮してみると、被告は、少くとも、入出庫手続の完了までは、積荷ひいては積荷を負担している加害車に対し、あるいは、なんらかの支配を及していたものといい得るかもしれないが、加害車が発車し、被告営業所の構内より外に出てから以降においては、被告が、加害車の運行に対し、何らかの支配を及していたものとも、また、その運行に対して、何らかの利益を有していたものとも、各、到底称し難い、ことが明らかである、というほかない。そうすると、被告は、結局、前記寄託契約のみによつては、本件事故当時、加害車に対し、運行支配、運行利益を有しておらず、加害車に対する運行供用者に該当しないことになるから、自賠法所定の責任を負うことはない、ことに帰する。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の論点に触れるまでもなく、理由がないから、失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳澤昇)

(別紙一)

1 日時 昭和四四年八月二二日午後五時四八分頃

2 場所 熊本県阿蘇郡長陽村大字立野字立石付近の国道五七号線上

3 加害車 小型貨物自動車(熊四ひ第六二四七号)

右運転者 訴外境文一

4 被害車 普通乗用自動車(大分五に第二六三〇号)

右運転者 訴外李徳三

右同乗者 訴外 佐々木恵美子

5 態様 一宮町方面から熊本市方面に向つて、時速約五〇キロメートルで進行中の加害車は、折から下り坂にかかつていたのみならず、道路の左側には「ブレーキテスト」の標識が存し、かつ、降雨のため路面が滑り易い状態になつていたにも拘らず、漫然と急ブレーキをかけたため、右斜め前方に滑走の上、中央線をオーバーし、一〇余メートル進行した地点で対向して来た件外車と接触し、さらに滑走を続けた上、右地点より三〇余メートル進行した地点(対向車線上)で停止していた被害車に対し、正面衝突するに至つた。

以上

(別紙二)

(一) 訴外李の損害

1 受傷等

イ 受傷―両肩・頸部・左膝・前胸部各打撲・右膝関節部切創(二ケ所縫合)、外傷性頸部症候群、右膝部瘢痕(六センチ×一センチ、四センチ×〇・四センチ)、視力低下(事故前の裸眼視力が右一・〇位、左〇・八位、事故後のそれが右〇・五、左〇・六、事故後の矯正視力が左右共〇・七ないし〇・八)

ロ 入通院期間―昭和四四年八月二二日から同年一〇月二一日まで六一日間入院(熊本市所在の西郷病院)し、同月二七日から同四五年一〇月一九日まで延日数三五八日間、実日数二五五日間通院(東京都所在の中野総合病院)した。

2 治療費―金五一万五五五七円

3 入院費―金一万八三〇〇円(一日金三〇〇円の割合による六一日分)

4 通院交通費、同雑費―金一六万四五〇〇円{中野総合病院に通院した分のうち一二五回分は、訴外佐々木と共にタクシーで通院(通院雑費も含めて一往復金一〇〇〇円)し、その余の一三〇回分は一人で通院(通院雑費も含めて一往復金二〇〇円)した。なお。訴外李は、訴外佐々木が中野総合病院に通院した九〇回分(前記一二五回分以外)(通院交通費として一往復金一五〇円)を、自分で支払つた。以上を合計すると、金一六万四五〇〇円となる。}

5 逸失利益―金一六九万円

イ 単価―昭和四四年度の年収(当時、電気工)は、約金八七万四三〇〇円(事故直前三ケ月の月収=同年五月分、金七万九四二五円、同年六月分、金七万一六五〇円、同年七月分、金六万七五〇〇円=の平均値×一二)であつたところ、訴外李(昭和一六年三月三〇日生)と同一年齢層の賃金センサス(男子労働者の産業計、企業規模計)の同年度から同四九年度までの推移は左記(一)のとおりであるから、訴外李の年収は、右センサスと同一の上昇率で上昇したものと考えると、左記(二)のとおりとなる。

記(一) 記(二)

昭和四四年度―金八六万一六〇〇円、 金八七万四三〇〇円

同四五年度―金一〇二万六九〇〇円、 金一〇四万二〇三六円

同四六年度―金一一七万二二〇〇円、 金一一八万九四七七円

同四七年度―金一三四万六六〇〇円、 金一三六万六四四七円

同四八年度―金一六二万四二〇〇円、 金一六四万八一三八円

同四九年度―金二〇四万六七〇〇円、 金二〇七万六八六四円

ロ 期間―本件事故による前記受傷のため昭和五〇年三月末頃まで休職を余儀なくされたので、左記のとおり、収入を喪失するに至つた。

昭和四四年八月二三日から同年一二月末日まで約四ケ月間―一〇〇%同四五年一月一日から同年三月末日(同四四年度末)まで三ケ月間―五〇%

同年四月一日から同年一〇月末日まで七ケ月間―五〇%

同年一一月一日から同四六年三月末日(同四六年度末)まで五ケ月間―二五%

同年四月一日から同四七年三月末日(同四七年度末)まで一二ケ月間―二五%

同年四月一日から同四八年三月末日(同四八年度末)まで一二ケ月間―二五%

同年四月一日から同四九年三月末日(同四九年度末)まで一二ケ月間―一〇%

同年四月一日から同五〇年三月末日(同五〇年度末)まで一二ケ月間―一〇%

ハ そこで、以上の前提に従い、ホフマン式(月別)により中間利息を控除すると、次の計算書(一)のとおり、少くとも金一六九万円となる。

計算書(一)

87万4,300×1/12×3.9588+87万4,300×1/12×(6.8857-3.9588)×0.5+104万2,036×1/12×(13.5793-6.8857)×0.5+104万2,036×1/12×(18.2487-13.5793)×0.25+118万9,477×1/12×(29.0980-18.2487)×0.25+136万6,447×1/12×(39.4780-29.0980)×0.25+164万8,138×1/12×(49.4276-39.4780)×0.1+207万6,864×1/12×(58.9811-49.4276)×0.1≒169万0,946

6 慰藉料―金二〇〇万円

7 弁護士費用―金二六万円

8 合計―金四六四万八三五七円

9 損害の填補―金一五一万円(自賠責保険より)

10 残損害額―金三一三万八三五七円

(二) 訴外佐々木の損害

1 受傷等

イ 受傷―両眼・眼瞼・角膜各挫傷・右膝関節・両肩・前胸部・左拇趾各挫傷、顔面挫創、外傷性頸椎症候群、腰部椎板障害、歯牙一四本破損、歯髄炎等

ロ 入通院期間―昭和四四年八月二二日から同年一〇月二一日まで六一日間入院(前記西郷病院)し、右入院期間中の、同年九月一日から同年一〇月二一日までの間に実日数七日間眼科医院に、同年九月一二日から同年一〇月二一日までの間に実日数一二日間歯科医院に、退院後は、同年一〇月二七日から同四五年一〇月一九日までの間に実日数二一五日間前記中野総合病院に、同年四月二三日から同年九月一一日までの間に実日数一四日間武蔵野赤十字病院に、同四四年一二月一日から同四五年九月一一日までの間に実日数一〇日間八成歯科医院に、各通院し、どの症状も、同年九月中旬頃までには、固定するに至つた。

ハ 後遺症―<1>眼―ガラスの破片が左右の眼に刺さり、右眼のそれは取れたが、左眼のそれは失明の危険があるため取れず、角膜混濁による不正乱視が存するのみならず、視力も右〇・二、左〇・〇四の状態で矯正不能となり、眼精疲労が強く残存している。<2>顔面―数ケ所に最長六センチ位の線状瘢痕が存する。<3>頸部―頸椎に運動制限(前屈一三五度、後屈一二五度、左屈一五二度、右屈一五六度、左回旋五九度、右回旋五四度)等が存し、X線上も第四頸椎が第五頸椎に対し、前屈時には前方に、後屈時には後方に、約〇・七センチ移動することが認められる。<4>腰部―腰椎に運動制限(前屈一五六度、後屈一四九度、左屈一六〇度、右屈一五九度、左回旋三二度、右回旋三四度)が存し、側屈および回旋は正常のほぼ二分の一に制限され、コルセツトを装着しても約三分間で腰痛のため姿勢を変えざるを得なくなり、疼痛のためハンドバツクより重い物は持てず、X線上も第四、第五腰椎の椎間左側がやや狭縮しているように見受けられる。<5>歯―上顎部左右第一ないし第三歯部が歯槽骨々折、上顎部右第四、第五歯部の破折部が歯髄に達して露髄しているため、上顎前歯の保存はあまり期待できず、咀嚼機能に著しい障害を残存させている。<6>その他―握力減少(左四キログラム、右八キログラム)、両側橈骨神経・両側正中神経・左筋皮神経各領域に知覚鈍麻等が存し、また、自覚症状として、頭痛、判断力・計算力・忍耐力・理解力・記銘力の各低下、目まい、耳鳴、頸部・腰部・腹部・右膝部・左拇趾各疼痛、肩こり、左上肢のしびれ感・脱力感等が存する。なお、右後遺症のため、現在に至るも寝たり起きたりの生活をしており、家事等の仕事は殆んどできない。

2 治療費―金三五万三二一一円

3 雑費―金一一万三〇〇〇円{<1>腰椎用装具軟性コルセツト代、金八〇〇〇円(昭和四五年二月一二日購入)、<2>めがねおよびコンタクトレンズ代、金二万九〇〇〇円(同四七年一〇月三日購入)、<3>入院雑費、金二万四四〇〇円(一日金四〇〇円の割合による六一日分)、<4>通院雑費、金五万一六〇〇円(一日金二〇〇円の割合による二五八日分)}

4 逸失利益―金一七一〇万円

イ 単価―昭和四四年度の年収(当時、新宿チヤイナタウンのホステス)は、約八一万一六八〇円(事故直前三ケ月の月収=同年五月分、金五万六七七〇円、同年六月分、金六万六一四〇円、同年七月分、金八万〇〇一〇円=の平均値×一二)、その純収入(化粧代、衣裳代等の必要経費として三割控除)は、金五六万八一七六円であつたところ、訴外佐々木(昭和一九年九月一七日生)の純収入は、同四九年度までの分については、同一年齢層の賃金センサス(女子労働者の産業計、企業規模計)の同四四年度から同四九年度までの推移が左記(一)のとおりであることから、右センサスと同一の上昇率で上昇したものと、同五〇ないし五四年度分については、同四九年度の純収入の五%増(同五〇年度の前記センサスを、同四九年度のそれの五%増=その金額は、左記(一)のとおり=と仮定したため。)になるものと、同五五年度以降の分については、同五〇年度のセンサス(右記のとおり、仮定した金額)と同額程度になるものと、各考えると、左記(二)のとおりとなる。

記(一) 記(二)

昭和四四年度―金四一万八九〇〇円、 金五六万八一七六円

同四五年度―金五〇万三七〇〇円、 金六八万三一九四円

同四六年度―金五八万八七〇〇円、 金七九万八四八三円

同四七年度―金六八万〇一〇〇円、 金九二万二四五三円

同四八年度―金八四万五三〇〇円、 金一一四万六五二一円

同四九年度―金一一二万四〇〇〇円、 金一五二万四五三五円

同五〇ないし五四年度―金一一八万〇二〇〇円、 約金一六〇万〇七六一円

同五五年度以降―金一一八万〇二〇〇円、 金一一八万〇二〇〇円

ロ 期間―訴外佐々木は、その家庭環境からみて少くとも満三五歳経過後の昭和五五年三月三一日までは前記のとおりホステスとして、その後は主婦として、各稼働する筈であつた(また、そのための労働能力も有していた。)ところ、左記のとおり、収入を喪失するに至つた。

昭和四四年八月二三日から同四五年三月末日(同四五年度末)まで約七ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同四六年三月末日(同四六年度末)まで一二ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同四七年三月末日(同四七年度末)まで一二ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同四八年三月末日(同四八年度末)まで一二ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同四九年三月末日(同四九年度末)まで一二ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同五〇年三月末日(同五〇年度末)まで一二ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同五一年三月末日(同五一年度末)まで一二ケ月間―一〇〇%

同年四月一日から同五五年三月三一日まで―九〇%

同年四月一日から同八八年三月三一日まで―六五%

ハ そこで、以上の前提に従い、昭和五一年三月末日までの分(過去の分)についてはホフマン式(月別)により、それ以降の分(将来の分)についてはライプニツツ式により、中間利息を控除すると、次の計算書(二)のとおり、少くとも金一七一〇万円となる。

計算書(二)

56万8,176×1/12×6.8857+68万3,194×1/12×(18.2487-6.8857)+79万8,483×1/12×(29.0980-18.2487)+92万2,453×1/12×(39.4780-29.0980)+114万6,521×1/12×(49.4276-39.4780)+152万4,535×1/12×(58.9811-49.4276)+160万0,761×1/12×(68.1688-58.9811)+160万0,761×(5.4901-5.3717)+160万0,761×(8.0627-5.4901)×0.9+118万0,200×(17.6140-8.0627)×0.65≒1,710万5,657

5 慰藉料―金五〇〇万円

6 弁護士費用―金一五〇万円

7 合計―金二四〇六万六二一一円

8 損害の填補―金二五六万円(自賠責保険より)

9 残損害額―金二一五〇万六二一一円

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例